この件に関して、実はもうちょっと説明不足だったのかな、という気がしてきたので多少追加します。
まず最近になって分かってきたことがあります。
鉄道の建設構想において、最終目的地まで一気に開業できない場合、中間点まで暫定的に開業する場合があります。その場合、その暫定的な終点には意味があるということが徐々に分かってきました。
たとえば、京王なら府中まで開業していますが、府中はかつての武蔵国の中心です。世田谷線であれば三軒茶屋から世田谷まで先に開業していますが、これは当初の計画に沿ったものであり、そこが世田谷村、町、区の中心地に近いことも分かってきました。
ということから考えると、天現寺橋線の終点である天現寺橋駅にも、何か具体的な理由があるのではないか、と思えてきます。仮にそういう理由があるとすれば、現在は天現寺橋線に相当する地下鉄が存在しないわけで、今はもうない理由となります。その点で、目黒の火薬庫へのアクセスという仮説は「今はもうない」という意味で適合します。渋谷川を渡りたくなかった、とすれば駅の位置もまあまあ妥当です。
とはいえ、それでも駅は遠すぎますが。
だから、この話が本当であると信じている訳ではありませんが、天現寺橋駅にもし理由があれば何だろうか、という疑問はあります。
(もちろん、きむらたかし@三田用水さんご指摘の通り、「単に、他社の免許申請との競合をさけられる、適当な市電との接続点を設定しただけ」という可能性も大いにあり得ます)
余談 §
この問題は、鉄道マニア系の本を見ると、「何々駅が何年に開業した」「どういう車両があった」という話ばかりで、そこから一歩外れた瞬間に情報が乏しくなり、途方に暮れてしまう状況と表裏一体です。たとえば、「電車のXX線」の話は詳しくとも、そこに電力を供給した「送電線のXX線」の話はさっぱり分からなかったりします。だから、玉電の支線の1つとして天現寺線があったという話は多いのですが、そもそも終点の天現寺橋とはどういう場所なのか?が良く分かりません。私も、地下鉄の広尾駅の天現寺橋口から出てやっと実感が沸いてきたぐらいです。